私の鬱について

なぜか急に自分の鬱病だったことを書きたくなったので,思うがまま書き綴ってみようと思います。

幼い頃から,かなり神経質で思い込みが強く,氣が強いわりにすごく繊細で小さなことが気になって落ちこみやすい。
親から認められたい。自分を見てほしい。
褒められたい(姉がすごく優秀だったもので姉に対するライバル心旺盛だった)。
元氣で明るい子に見られたい,見られなければならない。
自分の固定概念の中での正義があり,それに当てはまらない相手は生理的に受け入れられない(余談→この固定概念は今でも解放練習中。皆を好きになれたらいいのにな・・・)

そんな性格が災いして随分自分を追い詰めたり,人と話すのがストレスになったり,まして人前で話すなんて震えがくるほどの時があった。

もっと,書けるよ。自分のネガティブだった過去。

ストレス過剰になり,20代半ば頃から鬱の症状が出てきて,眠れない,動けないの時期がどれくらい続いたかな~・・

自分があまり好きでなかった。
認められたくて一生懸命頑張っていて,頑張り過ぎて潰れてしまった・・・。
他人からの見られ方や,周りからの評価ばかり氣になりすぎて,自分を大切にできていなかった。
他人軸で生きるのが無意識のパターンで繰り返されていたと思います。

そんな苦ーい多くの経験をしてきてます。

しかし,人間って生まれ変われるんだ,ということが自らの体験で学んできました。いや,今も学んでいる最中ですが。
もちろん,肉体ではなく,意識の持ち方で心の在り方が生まれ変わるってこと。
その瞬間に生まれ変われるんですよね,意識の持ち方によって。すごく心が軽く楽になる。

自分の思考パターンを観察し,それと向き合っていく。
何回も観察を繰り返し,練習して練習して
自分でも氣付かない自分の「生き癖,意識のパターン」に氣づく,その時がチャンスのようです。
何回も練習しながら潜在意識そのものを上書きして変えていく。

目で見えるものではないので,本当に変化したかどうかはわからないけど,分からない分,更に自分を客観的に観ることに集中できる。
繰り返せば繰り返すほど,練習になるし,今の心の在り方を観察する能力とそれに氣付いたらチェンジしていくことが自分の癖(パターン)になってくる。今,この瞬間,自分の心が心地良いか心地悪いか感じることができ,心地悪ければ心地良い意識へチャンネルを変えるというテクニックが自然に身についてくるんですね。
私の場合何十年もかかったけどね。
辛い思いや嫌な感情を持てば持つほど,練習になるって確信できた時,困難を乗り越えていく耐性が養われてきたように思います。
どう思うかは自己責任。だったら心地よい思考を選んだ方が幸せだもの。

ちょっと,話の方向を変えますが
心の奥にはま,まだ以前の世間に知られたくない封印した私が,潜んでいるんですよ。
それも,分かっている中で,そういう自分も受けいられるようになってきました。
まあ,それも私。
そんな自分もいるってことを,隠さずに認められている。自分のことを一番理解してるのは自分。
一生いつもそばで自分と付き合っていくのも自分。
自分に優しく接したいと思います。

鬱的な症状っていうのは,鬱を経験した人でなければ分からない。今は鬱状態を体験できたことに感謝しています。

だから,人間の本質は変わらないって言われることもあるけど,私はそう思わないのですよ。
人間はいつでも変われるって思います。

私にとって,その浮き沈みの激しい状態から解放された切っ掛けは,まさしくヨガでありました。
一言でヨガといっても,ヨガは様々な形式やスタイルがあるので,次回のブログはその根本的な目的を書いてみようと思います。


随分長くなってしまいました。
今日はこの辺で。

では,またね。

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今日の朝の空は久しぶりに青々してました。




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